- 1989年 家族の崩壊
- 1990年 バブル絶頂
- 1991,1992 年 バブルの崩壊
- 1995 カルト宗教と震災
- 1996年~ 積極的な家出
- 2000年~ 9.11
- 2006年~ 虚構の日常
- 2011年~ 震災
平成の時代が刻一刻と終わりを告げているが、私たちが生きてきた平成というのはどのようなものだったのかというのをアニメなどと共に振り返っていきたい。
1989年 家族の崩壊
手塚治虫の死から始まる。
以前までは、ちびまる子ちゃんやサザエさんなどの家族構成がはっきりしたアニメが描かれていた。ところが宮崎勤事件を機にマスメディアの過激な演出によって「オタク」への偏見が高まることとなる。そんな中で、ファミコンの人気もあってか、いとうせいこうのノーライフキングが公開。この映画では子供たちの遊び場がゲームになり、家族がバラバラになっていく。同じテレビ、同じ話題から離れていく子供たち。
「死にながら生きる」
「何もかも、リアルです」
1990年 バブル絶頂
ジャンプ黄金期でもあり、ドラゴンボールやスラムダンクなどが非常に人気になる。またアニメではふしぎの海のナディアやバカボン。ジブリでは紅の豚、平成狸合戦ぽんぽこ。ナルシズムと懐古。浮かれ気分が想像できる。しかし、特に遊戯王では(カードで決まる)という代理戦争が始まる。また魔女の宅急便では頑張る女の子の美談。
1991,1992 年 バブルの崩壊
国民は、また景気は持ち直すだろうと楽観的だった。
その結果 すべてをなかったことにする。
織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」
森高千里「わたしがおばさんになっても」
癒しブームやレトロブーム、そしてヘアヌードブームへと移行していく。マリオ、カービィ、ドラクエなどが人気になっていく。そして幽遊白書。
終わりの狂乱。
1995 カルト宗教と震災
大人たちも 一気に不安と恐怖へと変わっていく。(バブルによって金がない男性のせいで)お姫様(白鳥麗子)になれない女性たち。そしてコギャルであったり、偽物の王子に騙される(ウテナ)のような人間が増えていくこととなる。
鬱
さらにエヴァンゲリオンでの絶望。正体不明の敵(集合的無意識)、消えた母、認めてくれない父。
大人が大人をしてくれない。
1996年~ 積極的な家出
尾崎豊もポケモンもハンターハンターもワンピースも全部旅に出る。
さよならバイバイ。
帰るつもりがないかもしれないが、子供たちには帰る場所がない。
でも日本の未来はwow wow wow wow
全部なしにしていく。
しかし、キラキラしている中の大きな暗黒を抱えた日本人に、もののけ姫では
「生きろ。」と伝える。
2000年~ 9.11
ノストラダムスの予言は一年ずれてアメリカで起こった。また日本ではバスジャック。世界的不安に駆られるわけとなる。そして千と千尋の神隠しでは「私は誰だ」という自分探しをしていく。
そして終わりなき日々。不思議な夏祭りの到来。ゆず、サンボマスター、オレンジレンジ、スピッツ。電車男でいい話風に変換。ひな壇芸人、エンタの神様、M1。
涼宮ハルヒの終わらない日常。宮藤官九郎の終わらない地元。
心の中の美しい日本だけを描いていく。
裏での自殺、いじめ、病んだ心、虐待を見過ごしながら。
小泉政権やホリエモンは革命できなかった。
人に投げてばかりで変わろうとしない日本人。
2006年~ 虚構の日常
勝ち組を目指すことだったり、デスクトップ上ではホワイトアルバム2、あずまんが、けいおんを見る。癒しの箱庭を作り出し、生きる希望を見つける。
無差別殺傷事件が起こる。
でもあげぽよ。
2000年代の子供たちの心
まさしくデジモンアドベンチャーの世界観の中にいる。
世の中の不条理。画面に出てくる嘘。
大人は何もわかってない。大人に期待してない。
新世代の戦いはネットとなりバーチャル化していく。またサマーウォーズによる地方創生。デスノートによる改革を目論む。そして絶望した!ヘビーローテーションするしかない。
2011年~ 震災
アナログも終わり。
まどマギ
あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない
進撃の巨人
ラブライブ
風立ちぬ「生きねば。」
ガルパン
君の名は
けものフレンズ
ゴジラ
宇宙よりも遠い場所
ウルトラマン
逃避して、向き合って、をひたすら繰り返している。
生存戦略(集合的無意識)の戦いに、自分なりの答えを想像(imagine)しよう。輪るピングドラムが教えてくれた。
最後くらい、ちゃんと平成を見つめましょうよ?
私たちはここに生きているんだよ?
まだ先送りするの?
目を背けてはいけないと思う。
令和を生きる未来人のために。