私はオンラインで繋がっているはずなのになぜか孤独感を感じることが多々あった…また自分たちはオンラインの生活にどっぷりな気がするけど実のところどうなんだろうか?
自分が何していたかとかを書いていきながら考えていきたい。
- 小、中学生のころ
- ただある瞬間からすでに変わっていた。
- 高校時代
- ここでもう一度上記のストーリーを振り返ってほしい
- オンラインとしての面白さをちゃんと体験できなかった時代
- 我々の世代について
- 私の考え
小、中学生のころ
小学生のころは友達とポケモンダイパでは対戦をしたり交換をしたり、マリカやマリパをやったり、メイドインワリオやリズム天国をやって、ドラクエジョーカーでひたすらトーナメントをやったり、友達の家で大勢集まってスマブラをやったり、ラチェクラをやったりしていた。
そのあとはpspのアドホックモードでモンハンで一狩りいこうぜして、メタルギアやキングダムハーツや無双系やガンダムやパワプロで対戦したり、FFやゴッドイーターをやって、グラセフを秘かにやっていた。
そしておもフラ見て、うごメモ見て、ニコニコ見て、ユーチューブを見ていた。怖い話や2chなどを探ったりもしていた。
パソコンを持っている人は少なかったので、みんなゲーム機を持って友達と遊んでいた。
ただある瞬間からすでに変わっていた。
このある瞬間というのは「地震」だと個人的に思うわけだが。
みんなiphoneをなんとかして手に入れようとしていて、私とかはipod touchを利用して、LINEやTwitterをはじめ、パズドラ、モンスト、LINEゲーム、などなどをやったり、にゃんこ対戦とかRUN系のゲームが流行ったりしていた。ただゲームをする人は減っていてアニメや音楽やドラマを見る人が多かったように感じる。自分は3DSもやってたけど。そいえば、斎藤さんが流行ってたな。通話やメールというよりもSNSの色が強くなったのはこの時期だと思う。いつでもつながれる感じが非常に高まった時期だろう。また地デジに完全移行前、テレビでは毎日、全放送が地震速報だったことも鮮明に覚えている。
高校時代
そして高校生になると、iphone6を持たせてもらえたけど、どんどんいろんなゲームをやめていき、クソみたいなユーチューバーやバカッターが流行していたから、私はtwitterやyoutubeを見る機会は非常に減り、勉強うるさくなっていった。iphoneでやっていたのは結局音楽聴くことと家族との連絡くらいだったようにも感じる…
ここでもう一度上記のストーリーを振り返ってほしい
私たちの生活はオンラインで繋がっているはずだが本当にオンラインであったのだろうか?
すでにwifiの環境もそろっていて、3Gや4G回線なども利用できる時代であったけれど、ゲーム内での「オンライン要素」を利用している機会は少なく、一人や周囲の友達と楽しむことの方が多い。また動画コンテンツなどは「見る」だけでコメントを書きあうなどのオンラインインタラクティブをしない。ps3などでfpsとかインターネット対戦とかもしていたけど音声やテキストコミュニーケーションをしていた人は少なかったと思う。そしてtwitterやインスタグラムは鍵垢ばかりで友達などと気軽にやっていて、ましてやLINEはクラスや友達だけだった。
つまり実のところのオンライン的つながりは希薄だったのだ。
現実はめんどくさいから仮想空間だけでいいやって思っていても、皮肉にも仮想空間でも関係性が希薄だった。共通の趣味を持つ遠くの存在とつながりはほとんどなかったように思える。またオンラインでいろいろできることは割と当然だったので、自身のアカウントや主人公としての自分は、別人格とかそういうことではなく個人としてそこに存在していて、現実感があるから、友達もリアルとネット上は別の個人を使い分け、お互いに本心が見え隠れしていた。さらには真偽のしようのないコミュニケーションで、嘘の情報が独り歩きして、インターネット上の言葉が現実の人間を傷つけあうようなことが頻繁に起きていた(冗談が通用しない世の中になりつつあったのも背景にあるだろう)。だからインターネットにも現実にも、適度な距離感を保つことが非常に大切だった。
オンラインとしての面白さをちゃんと体験できなかった時代
以前からインターネットでの問題がたくさんあるが、無法地帯となっていて悪意のある人間が利用しやすい状態だった。だからよくわからない一般人に「インターネット怖い」が定着した。そうしてそれは学校や家庭にも影響してきた。
危ないから使うのやめろ
怖いからやめとけ
嘘ばかりだから見るな
本のほうが学べる
パソコンより紙のほうが安心する
知らない人とはかかわるな
ネット上の人間は信用するな
攻撃されるからやめろ
中毒になるからやめろ
守れ
規律を乱すな
守れ
この空気感はSNS批判にとどまらず、公園や地域の公共施設の利用もどんどん縮小するが、いじめやたばこやアルコールやマナーなど「こうしなけらばならない」「こうしてはいけない」という論調は拡張していった。ただしなぜ問題なのかはほとんど考えられなかった。このような空気感とともに、本を読んで勉強して、スポーツをして、肩身狭くなんとか優等生を演じていた。
我々の世代について
私たちの世代は特に顔出しを恐れているようにも感じる。中高生の時にマスクをしている割合は非常に高かった。そしてリテラシーというものに異常に反応しているようにも感じる。リスク管理が我々の生命線だったのかもしれない。何かやらかすと全日本人が監視しているかのようなディストピアだ。監視カメラがなくても我々が監視しているのだから。
こういうことから私のような人間は、何事も起こらないように、適度な関係を築くけれど、本当の人間関係を築くことができず孤独感に悩まされてきた。また「本心をいうと自分も他人も傷つくから」というしょうもない理由から本心をうまく伝えられなかった。オンラインでつながっているけど信頼関係はほとんどないのかもしれないと不安になることも多々あった。みんなつながっているけどみんな曖昧だった。みんなどこかエリートのように振舞っていて、本当の自分を無くしてアバターのようになっている。
私の考え
私は一人になる時間がとても好きだ。ドラえもんのように押し入れにもぐったり、アマガミのように押し入れに宇宙を作ったりするのが好きだ。けれどのび太の存在や妹の美也ような存在が近くにいることが、この時代を生きる上でめちゃくちゃ大切だろうと改めて感じた。オンラインであっても映像を切った瞬間の儚さが襲ってくる、だから拠り所がないと迷走してしまうに違いない。この拠り所は人間である必要はない。Vtuberやミクさんやロボットや動物でもいいと思う。ただ、自分の信念をもって信じる何かを持つことがこの時代の孤独に対する生き方かもしれない。またみんなつながっているけど、みんな孤独な時もあると気づくと少し安心できるだろう。
「現実感は常にあるけど、現実とはなんだろうか」ということが我々世代の問題意識かもしれない。今見えている世界が非常にちっぽけだけど、どこに美しさや汚さがあるのか見つけて新たな世界を構築することが必要かもしれない。
自分が今大学生になって、改めてこの閉塞感というのは改善されないものかと、何か薬をぶちまけたくなる。
~追記~
アカウント登録が必要でライセンスが長文だったことは私のようなキッズが、見るだけだったのは健全だったのかもしれないな…
最近の出来事として、デスストランディングのあのつながりが非常に居心地よかった。皆さんもぜひやってみてほしい。