数か月前の話だが、旧友たちと三人で京都を散策した。大学生になって結構会えてなかったから久し振りに集まれてとても楽しかった。しかも京都という町は旧友とは修学旅行以来だったし、懐かしさと新しい発見もたくさんあってめっちゃ楽しかった。
「USJとか行かず、男ばっかで、俺らってオッサンくさいよな。」と言いながら、車内で尾崎豊や玉置浩二やドリカムの曲で盛り上がったのがめちゃくちゃ印象的だw
ちなみに↓
そろそろ本題に入る。
清水寺が歴史的に素晴らしい所で、景観が美しいことは言うまでもないが、写真を見て第一に思うことは「清水寺が工事中である」ことだろう。
これに対して旧友、
「うわあ、残念やね…。綺麗じゃないな。」
これに対してワタクシ、
「これがええんやんけ!」と数枚写真を撮って、感動に浸っていた。
意識の違いについて
旧友は昔見た清水寺と比較しながら、完成している美しい清水寺を見たくてここに来ていた。私は建物それ自体だけでなく、民族的営みとか、未来の清水寺へと歴史を繋げていっている様に美しさを感じたわけだ。
どちらが良い悪いではなく、私は途中の工程とかを見たりするのが好きだ。だれがどういう経緯で、とある思想になったり、アイデアを思いついたのかを知ることが好きだ。未来にどうなるのか想像するのが好きだ。
で、この清水寺を見て、自然の影響とともに木造建築を人間が元ある姿に戻そうとする行為って、めっちゃ文化的過ぎない…!?この写真にもうっすら木の上に人がいるのが分かるはずだが、あの人たちめっちゃかっこよくないか…!?そして檜皮葺という工法で屋根が作られているらしいがそれを直している瞬間を見られるとか感動的過ぎない…!?前回は昭和39~42年に修理したらしい。つまり50年のうちの数年しか見れない時間を私たちは体験しているだと…!?また素屋根で囲まれている木は幾何学的に組み合わされていて、結び目の縄が良い感じなんだよなあ…そして詳しく調べてみると将来の改修のために樹齢300~400年のものを利用するために植林もしているそう…凄いな。
こんな清水寺の姿が残念な訳がないと思うし、何より旧友たちと行けたことが感動体験なのだよ、友よ!
~最後に~
ぜひぜひ今のうちに見に行きましょう!!!今がチャンス!
また建物それ自体以外にも美しさがあることを修学旅行生は感じてほしいなと老婆心ながら思いました。また歴史っていうのは過去のことだけではなく、今生きている瞬間も、未来も歴史なのだと再確認してほしいものです。あ、ちなみに名曲ですねw